日記・コラム・つぶやき

2009年3月27日 (金)

マードック大学カイロプラクティッククリニック前にて

マードック大学にはカイロプラクティック学科がありますので、研修生が臨床の経験を積む場としてのクリニックがあります。レントゲン設備とリハビリ設備を備えた立派なクリニックです。大学関係者やその家族、友人、近隣の人たちの健康に役だっているようです。
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オーストラリアのマードック大学に行きました!

といっても、実は昨年の12月7日から14日に滞在していたので、ずいぶん前のはなしですが。マードック大学は、西オーストラリアのパースにある大学です。カイロプラクティック学科があるので、そこで、研修をしてきたわけです。動物を解剖して、新鮮な組織に、直接手をふれるという貴重な体験をしてきました。その時に撮ったさまざまな写真をアップしてみます。
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パースの街並です。とてもきれいです、でもなぜか蠅が飛んでいます。

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2008年11月28日 (金)

知ることの厳しさ、解るということの意味、クゥーウッ!

   昨日も空手の稽古に行ってきましたが、真剣であることの大切さを指導されてしまいました。真剣さとは、気力が充実し、気迫が外に出る状態にならなくてはいけないということで、ただまじめであるだけでは、不十分であるということです(数見道場の支部長である橋本先生の教えです)。まったくもってその通りで、そのようなことを指摘されるとは、恥ずかしく、情けないかぎりです。カイロプラクティックの勉強をはじめた頃は、鬼気迫るぐらいの集中力で、カイロプラクティックの神髄に近づこうとしていたはずなのに、いつのまにか肉体の膨張とともに、精神も弛緩していたようです。自称在野の身体運動研究家ですから、バイオメカニクスやスポーツ医学、ヨガなどの修行法に関する知識は、かなりのレベルにいっているのですが、からだで理解する、からだで知るというところに不足があったようです。原点に立ち戻って、ゼロから身体運動の実践、研究を再スタートする必要がありそうです。少なくとも、空手の実践部分はマイナス(過去の空手経験でつくった悪い癖)からのスタートだと稽古に行く度に指導されています。は〜ぁ〜、思わずため息がでてしまいそうですが、プロ(空手ではなく、身体運動研究のです)ですから逃げるわけには行きません。
 知ると言うことは全身全霊で取り組むことで始めて、得られるものであること、解るということは、真実を体感することであるということを、改めて確認させられている武術修行の日々です。近いうちに、今の経験を、縁ある人々にフィードバックできるよう研鑽するつもりです。最後まで読んでくれてありがとう。押忍!

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2008年11月 7日 (金)

数見道場で空手を再開しました!

 心身ともに軟弱なわが娘(親の責任が大きいのですが)を、一流の先生の元で空手修行をさせることで、鍛えなおそうとの親心で、数見道場に見学に行ったところ、親の私も、もう一度空手をやってみたいという思いが強くなり、二十数年ぶりに、空手を再開することになりました。空手界では、知らない人がいないほど有名な、極真空手で何度も優勝した、数見肇先生が館長をしている道場です。そういう一流の先生に直接指導を受けることができる幸せを、わが愚娘は理解していないようですが、私の方は、すっかり普段着になってしまっている、自信と余裕の鎧を脱ぎ捨て、純真な気持ちとともに、少々おどおどしながら、修行ができる幸せをひそかに感じています。
 まったくの新入生として、若い人たちと汗を流すことで、新たな発見と自己変革ができるのではとわくわくしていますが、入会動機を、武術の修行と身体運動の研究などと、はらの突き出た体型で平然と書くのだから、うぶな少年にはなりきれていないのかもしれません。
 昨日は、凝縮させる突き(パンチ)ではなく、発散させる突きをしなさいとの教えを頂きました。読んでくれてありがとう!押忍(オス)。 

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2008年11月 4日 (火)

形の意味、形の神秘

 世の中には様々なロゴやマーク、登録商標などがありますが、それらの形には、ただデザインの芸術性の違いだけでなく、特有の影響力を持っているようです。ですから形そのものに、その個人にあるいは社会にプラスの影響やマイナスの影響を与える性質があることに、具体的にはとがっている形と丸い形、出っ張りが奇数であるのか偶数であるのかなどで、質の違う影響を与えることに最近気づきました。かつて、武将たちが様々な旗印を掲げていましたが、重要な意味を持っていたのかもしれません。
 あまり具体的なことは、企業秘密なので公表できませんが(申し訳ありません)、会社のロゴなどを決める際には、元気がでるような気がする形状にすることが大切であろうと思います。なんらかのデザイン(会社のロゴ、貴金属の形状など)を考えている方で、上記のようなことがどうしても気になる方は、有料ですがメールで相談にのります。
 建築物の形状・構造もそこに住む人、働く人に少なからぬ影響を与えるでしょうから、将来の病院などは、こういう観点からも設計されるかもしれません。最後まで読んでくれてありがとう!


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2008年10月26日 (日)

医療問題の原因認識が違うのではといつも思っています

医療事故、救急医療での受け入れ拒否、医療費増加による財政圧迫など、さまざまな医療をめぐる問題が噴出していますが、政治家もマスコミも根本的なところに気がついていないようです。
 国の医療費に対する負担が増加しているのは、医療機関にかかる人が多すぎるからですが、これは高齢化社会になっていくのでやむおえないというところから出発しています。そうすると、医師の診療報酬を下げるとか、個人が負担する保険料を値上げするとかしか解決策がなくなるのは、当然です。ところが、高齢者は本当に病院に行かなくてはならないのが当たり前なのでしょうか?高齢者が日常的に病院にいく理由は、膝や腰の痛み、高血圧、風邪などによる体調不良でしょう。こういうものは、病院で治すものではないという教育がもっとも重要なのです。膝や腰の痛みは湿布や痛み止めで治すものでも、治るものでもありませんし、若い頃から、姿勢や歩き方、作業の仕方を訓練させ、自分のからだとこころは自分が一番の責任者であり、自分で管理するものという教育をすれば、日常的に、寄り合い所がわりに病院を利用する老人は必ず減ります。高血圧も同様です。そもそも痛みや病気は、あなたの生活が間違っていますよのサインであること(すべての病気がそうだとはいいません、特殊な遺伝疾患があることも知っていますが、ほとんどは生活からくるものです)、それを改めるのは自分しかいないことを国民すべてに理解してもらうことです。これができれば医療費に対する財源は半減、場合によっては1/3以下になるでしょう。風邪などはその対処法を国民に理解してもらえればほとんど薬など不要です。そうすることで人的、財源的余裕ができ、救急に医師不足して受け入れ拒否が起きる、医師が過労になりミスをする、などがずっと減ることになるのは間違いありません。
 医師の不足の解決策も私にはずれているように思えます。医学部は平均的な学力があればだれでも入れるようにすればいいのです。医学は高度なので頭がよくないと無理とおもっている方もいると思いますが、本当はそんなことはありません。記憶する量が多いだけで、こつこつやれば普通の人間ならだれでもできる内容です。(医学部卒ではありませんが、医学教育は受けていますので、教育内容はおおよそ把握しています)。今の十倍ぐらい(100倍でもかまいませんがそれは教育機関の数に限りがあるので現実的ではないでしょう)に医師の数が増えればいいのです。そうすると当然、医師も他の職業と同様に競争社会になります、能力が低ければ医師の資格があっても食いっぱぐれる人がたくさんでますし、いまより平均年収はぐっとさがるでしょうけど、そんなことは一般社会では当たり前のことです。エンジニアでもセールスマンでも、能力が高ければ高収入ですし、低ければ低収入ですし、やる気がなければ職を失います(職を失った人イコールやる気のない人といっているわけではありません)。そうすれば地方に行きたくないなどといってられない状況になります。都会にいても職がないわけですから。そこで問題になるのが、医学部の定員が多すぎても教育機関が人的、施設的に対応できないということでしょうが、それは段階的に淘汰するシステムをつくればいいのです。基礎医学系は座学を中心にできることはいくらでもあります。そういうものは理学系の教育ができる施設があれば十分対応できるでしょう。まず最初の2年ぐらいはその教育を中心にして、そこで国家試験を行いふるいにかけるのです。そこでふるいにかけ人数が減ります。そういうステップを3段階ぐらいかけて最終的に医師国家試験を通るひとが今の十倍(2倍でも3倍でも今よりはましです)ぐらいになればいいのです。これを実行するには当然初期投資が必要ですが、根本的解決になれば長期的にはかまわないことです。この方法のすぐれたところは、医師が特別な職業でなくなるという当たり前のことが実現できるところにあります、熱意があって一生懸命やるひとにはそれだけの見返りが、そうでない人にはそうでないみかえりが生じ、収入目的の医師、特権階級意識をもつ目的での医師がいなくなるところです。子供を医師にしようとして発生した事件がありますが、そういうものもなくなります。些末なことかもしれませんが。
 そうなれば、赤ひげさんが、どの町にもいるようになるでしょう。かなり大雑把な主張ですが、医療問題解決の視点としては間違っていないと思っています。

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2008年3月17日 (月)

久しぶりです

ここしばらく、ブログもコラムもさぼってましたが、一昨日、母校である日本カイロプラクティックカレッジの卒業式&謝恩会&閉校を惜しむ会に出席して、思うところがあったので久々に書きます。これは、このブログを見ているかもしれない教え子や後輩達へのメッセージです。

   カイロプラクターというカイロプラクティックのプロフェッショナルは、自分の専門において、たゆまぬ努力をするのは、当然であり、一般人でもできるような安易なハウツーを、色々覚えてその数が増えたことで、自分が進歩したなどと思ってはいけません。世の中には、様々な健康法も治療法がありますが、それを覚えるための遍歴をすることは、結局は遠回りになります。

  とにかく最初は、触診をすることです。触診とは、カイロプラクターにとって最も重要な情報収集法であり、最も大切な検査法です。 私がここで言っている触診とは、背骨のどこがどういう方向にずれている、動かないとかを判断をするための触診に限局した話ではありません。関節を動かし、また組織に触り・押し・すべらし・ずらしながら触診していくなかで皮膚を介して表層から深部までの質感を感じ、組織になにが起きているのかを感じ・考え、深部にある組織・器官の形態を思い浮かべ、深部にある器官に異常があるとすれば、その器官の働きを考え、その器官に異常がある場合に生じる症状を思い出し、そのような症状の生じる機序を考えるという一連の感じて思考する作業全般をさしています。そしてこの作業の中で明らかになった、技術的未熟さ、あるいは知識不足を認識し、その部分をごまかさずに修正する作業を延々と続けることが、プロフェッショナルの本道です。そのために、カイロプラクティックカレッジでは、解剖学、生理学、病理学、内科学などを学んだのです。この作業をしなければ、ただの知識であり、やがて忘れていくでしょうし、そのうちただのbone adjusterになっていくでしょう。
 
   最近、このブログでは、EFTとか気内臓療法とかさまざまなカイロプラクティックと異なる治療法や不思議な現象などを紹介したため、誤解が生じている可能性を危惧してあえて、このような文を書いています。かつて講師であった私が、色々なことをしているのを見聞きして、はじめからそういうものに手を出すひとがいるとしたら大きな誤りですし、その誤りを作り出すきっかけに私がなっているとしたら、修正する必要があると感じて書いています。地道な努力の必要な訓練を避けて、御手軽なハウツーを身につけることに時間を費やすことは、結局はプロフェッショナルにはなれない道です。安易なハウツーで変えられるほど、ヒトは安っぽい存在ではありません。カイロプラクターならまずはカイロプラクティックの真髄を極めようとするのが本道です、それは感性と知性を統合した触診能力が基本になくてはいけません。そしてそのような訓練をしたプロの行為は、同じ名称の治療法をしても深さが違ってくることになります。その深さは、触診の訓練なしにはけっして到達できません。
 以上は、あくまでの、教え子達へのメッセージでした。けっしてその他のカイロプラクターやその他の治療法をする方々へ、なんらかの批判の思いがあって書いたことではないことをお断りしておきます。

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2008年1月21日 (月)

もっともっとカイロプラクティックを世に知らしめなくてはいけません!

最近、患者さんによく言われることが「自分の症状が、骨のずれと関係があるとは思わなかった」とか「整骨と整体とカイロプラクティックの違いがわからなかった」というようなことです。まだまだ、カイロプラクティックの特徴、健康と骨組みとの深い関係を根気良く、積極的にアピールし続けなくてはいけないと痛感させられます。

 骨のずれという表現はカイロプラクター同士の会話としては、すこし乱暴ですが、患者さんに対してはわかりやすいので、そういう説明をしています。そこで、今回は、このあたりのことについて少し詳しく説明してみます。

 ヒトは骨に内臓や筋肉がぶら下がり、皮膚でそれらを包んでいる動的構造体ですから、骨は運動を効率よく伝える器官でもあります。ですから骨と骨の間が適度に安定(裏を返せば適度に動かないと)していないと、つまりくっついていたり、不安定であったりすると運動(エネルギー)がうまく伝わりません。ある部分が大きく動きすぎると、他の部分へ運動が伝わりませんし、動かないところがあると、運動エネルギーが骨内部で熱エネルギーに変換されることになります。大きく動かされるところも摩擦で熱エネルギーに変換されるし、動かないところも骨にひずみ力が働き、熱エネルギーに変換されます。結果として局所鬱熱を生み出し、運動エネルギーの伝達が損なわれることになります。

 生命とは運動状態にあることで静止は死であるとは古より言われていることですから、くまなく全身に運動エネルギーが伝わることが、自然治癒力が働いている状態ともいえるわけです。

 カイロプラクティックの生命哲学は、ユニバーサルインテリジェンス(宇宙の叡智)から流れ出るイネイト(命の働き=自然治癒力)が全身に行き渡る時、生命は最高の働きを保つことができると考えています。イネイトが全身に行き渡ることと、運動エネルギーがくまなく全身に伝達されることとは同じことです。ですから、背骨を調整し、四肢を調整するわけです。生命の働きが局所に滞ることのないように。これこそが、カイロプラクティックの存在意義であり、他の治療と区別されることです。ただ関節の問題を解消して、局所の痛みをとることを狙った治療ではないということの説明でもあります。カイロプラクティックと整体あるいは整骨との違いは、こういう考えを基盤にもってヒトを診ているかかどうかにあります、と私は思うわけです。

 この世の中には、原因不明の痛み、病気で苦しんでいるひとがたくさんいますが、正しいカイロプラクティックに出会うことができれば、どれだけ多くの人が救われるかわかりません。ですから縁を増やすのもわれわれの仕事です。

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2008年1月20日 (日)

我は、とげぬき地蔵なり!?

今日、来院した、手足がしびれる患者さんに、音叉セラピーを施したところ、中指から「ようじのようなとげ」が出ていき、しびれが減少しました。もちろんサイババではありませんから、イメージのつまようじです。音叉セラピーは、カイロプラクティックの流れをくむキネシオロジーから派生した方法で、経絡を調整するものですが、この治療法を行うと、人により様々な映像が浮かぶことがめずらしくありませんが、今回は「とげぬき地蔵」ばりの効果があったようです。
 一昨年と昨年に一回ずつ「巣鴨のとげぬき地蔵」をお参りしたからかも、などと実は思っていません。巣鴨に行った目的は、三浦屋という有名なスッポン料理を食べることでしたから。
 こういうことが起こると、患者さんにはいつも「どうして?」って聞かれるのですが、「わかりません、どうしてでしょうね〜、まっ気にするほどのことでもありませんよ。」と大抵答えます。摩訶不思議現象好きでない人になら、冗談で「我は、とげぬき地蔵の生まれ変わりなり(厳かな顔をして)」と答えてもいいのですが、この方は、江原さんの番組が好きな方ですから、そんなことを言ったら危険です。実際のところ本当に分かりませんし。不思議なことはいくらでもありますが、ほとんど分からないことばかりです。おそらくは、しびれている部分に気が流れ出した時に、その方にとっては棘がおきに入りのイメージだったのでしょう、きっと。ちなみにとげぬき地蔵は病気治しのお地蔵様だそうです、そういえばうちの子がまだかわいかった頃、2〜3歳の頃ですが、お地蔵さんの前に来ると手を会わせていました、なにも教えていないのに。

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2008年1月19日 (土)

信じられない医師を信じないために!

一昨日のことですが、いつも定期的メインテナンスにきている60歳代の女性の患者さんが急遽予約をとって、普段の症状とはまったく違う、急性の右上肢の強い痛みで来院しました。手掌には皮疹もありましたので、私の所に来る前に皮膚科を受診していたのですが、「のどに入ったウィルスのせいで手に湿疹ができている」との説明を受けたようです。患者さんは腕立て伏せをしたから腕が痛くなったと考え、手掌の痛みとは別物と判断したようですが、私はその皮疹を見た瞬間にヘルペス性の神経痛を疑いました。ですが「患者さんの聞き間違いかもしれませんし、ひょっとしたら私の知らないウィルス性の神経痛もあるかもしれないと思い、まあいずれにしても、抗ウィルス薬が出ているだろうから、とりあえず大丈夫だろう」と早合点したのが結果的に失敗でした。

 今日患者さんが処方された薬を見たら、なんと抗生剤と胃薬とアレルギー薬が出ているではないですか、唖然としました。溶連菌感染症と判断したのかもしれませんが、帯状疱疹あるいは単純ヘルペスだとすれば、早期の抗ウィルス剤を使用することが肝要なのに、水泡が増加して痛みも増強している事態となっていました。

 私は、治療をせずにすぐに内科の受診を勧め、帯状疱疹と診断され、アシクロビル(抗ウィルス薬)が処方されることになりました。患者さんには「一昨日来院した時に、明日来るように言ってくれればこんなことにならなかったのに」と責められたので「ごめんね」と誤りましたが、皮疹の見立ての専門家である皮膚科を信用できないとなると困った事態です。皮膚になにも現れていない状態で帯状疱疹を見抜くのは難しいこともありますが、皮疹が出ていて見立てを誤るとは、言う言葉がみつかりません。

 基本的には、私は、医師の誤診には寛容です、なぜなら人はミスをするもので、医師だけがミスをしないと思う根拠を持ち合わせていないからです。ですが、さすがにこれはまずい、プロ失格です。

 普段から信頼できる医師を見つけておくしか「信じられない医師を信じるはめになる」のを防ぐ手立てはありません。私もこれからは、もっと慎重にならなくてはいけません。

 

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2008年1月15日 (火)

今度は「かに」を食べました!

ただの個人的日記です。   1月11日の新年会では、やっと「かに」を食べました。忘年会はふぐさし、ふぐ鍋と、ふぐづくしだったのですが、やはり私には「かに」鍋の方がおいしく感じるのは庶民だからでしょうか、とにかく満足でした。この日も二次会はパークハイヤット(前回ホテルハイヤットと書いてしまいましたが間違いです)でしたが、51階のニューヨークバーでワインを飲みました。かなり洒落たバーなのでジャズバンド(おそらくアメリカ人)が生演奏しているのですが、正直、さすがと感じさせられるものではありませんでした。ボーカルの声量も、演奏もそれなりのものなのでしょうが、心に響くものがなにもありませんでした。ただ生活のために演奏しているからなのでしょうか?理由はわかりませんが、場を変える力がないからでしょう。昔、学生時代に庄野真代さんのコンサートに行った時に感じた、会場を一瞬にして自分の世界に変化させてしまうような影響力がないと一流にはなれないのでしょう、きっと。チャンスがあれば、ニューヨークのジャズバーに行ってみたいものです。

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2008年1月11日 (金)

スピリチュアルブームに警鐘を鳴らす!

 スピリチュアルブームなんか興味ないという人は、先を読まないで下さい。書いている私を、「阿呆か!」と思うでしょうから。阿呆と思われたくありません(笑い)。
 
  最近のスピリチュアルブームには、問題が多いような気がします。なんでもかんでも前世や霊障(霊により健康や人生の運不運が害されること)にする風潮が出てきているからです。
    健康の基本は、やはり自分のライフスタイルですし、運不運なども、そのひとの意識状態がもっとも大切な要因と理解すべきです。その基本を忘れて、前世だ、過去世だ、霊のしわざとする思考は、「自分の人生の主人公が自分である」というもっとも重要なことを失わせる危険があります。そして普通の人達が見えないものが見える(いわゆる霊能者)というだけで、健康や人生の指導者に祭り上げたりするのは、おろかな行為ですし、危険ですらあります。スプーンを念力で曲げても(スプーン曲げが本当でも、トリックでも)、見せ物以上の価値がないのと同様に、霊が見えたって(本当でも幻覚でも)面白いものが見えるんだねという程度のものです。霊能者と言われる人と交流(交際)するのであれば、その人が常識人であること、知的であること、顔がおだやかであること、その人自身が幸せな生活をしていることなどを基準に、冷静に判断してほしいものです。参考までに霊能者とのつきあい方を列挙しておきます。
1.霊能者が言っていることが正しいとは思わないこと。それだけで自分より人生をよく理解しているなどと決して思わないこと。視力が驚異的にいいからといって、その人の言うことが正しいとは言えないのと同じです。
2.自分が考えていることを当てたり、言ってないことを当てたりしたって、その人が神様のように正しいことをいっているなどと思わないこと。勘がすこぶるいいだけで、勘がいいからといって、その人が正しいなどという保証がないのと同じです。
3.天使の言葉、神様の言葉を伝えるなどという人は、特に要注意です。そういうことは意識のチューニングで起きる現象ですから、天使や神様と同レベルに意識がないと不可能なことです。そんな人はそうそういるものではありませんから、ほとんど「うそ」と思った方が無難です。神様、天使がいちいち個人指導をするなんて常識的にありえないでしょうし。
4.自分のことを、ちょっと変わった特技があるだけで、特別な人間でもなんでもないと思っている人は安心です。

  というわけで、お金がすべて、物質がすべてという風潮の反動でスピリチュアルブームが来ているのでしょうが、行き過ぎもまた問題です。すべてバランスです、と思うのですが。

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2007年12月16日 (日)

また、ふぐをたらふく「たらふぐ」でたべました

昨日は、市原鍼灸整骨院の院長で、親しい友人かつ応用身体運動学研究所の共同経営者でもある市原氏とその取締役で和製リチャードギアの稲田氏、市原氏と親しい弁護士夫妻と、うちうちの忘年会を、新宿のたらふぐで行いました。前回の忘年会では飲み過ぎて次の日ちょっときつい思いをしたので、今回は控えめにし、二日酔いにはなりませんでしたが、おじやの食べ過ぎで腹はふくらみました。その後ホテルハイヤットのカフェバー?で、お茶をしましたが、41階だけあってすばらしい見晴しでしたが、写真を撮るのを忘れてしまい、みなさまにお見せできないのが残念です。
 

市原氏です、すばらしくエネルギッシュな人です。彼ほどの人間力をもった人を私は知りません。Photo
 


 

稲田氏です、男前です、写真ではよく分からないのが残念です。 Ts330074

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2007年12月10日 (月)

ふぐをたらふく「たらふぐ」で食べました

昨日は、市原鍼灸整骨院・市原カイロプラクティック研究室と神田西口整骨院の合同忘年会でふぐの刺身、ふぐ鍋などふぐを久しぶりに食べてきました。ふぐはご存じのように、透明感のある白身の魚ですが、これは筋肉にミオグロビンという色素が少ないからです。ということは、ふぐはヒトに例えるとスプリンタータイプでマラソンランナータイプではないということになります。俊敏に泳げても長くは泳げないということです。魚の生態にはまったく疎い私ですが、きっと回遊することなく、決まったエリアで生活している魚なのでしょう。
   筋線維は、大きく白筋線維と赤筋線維に分類されますが、赤筋線維の赤の元は、ミオグロビンという鉄を含んだ色素タンパクで、これが酸素と結合することで、筋細胞(線維)内へ酸素を運搬します。酸素がなくても筋細胞は収縮活動できますが(無酸素系の運動)、長く運動を持続(有酸素運動つまりエアロビクス)することはできません。ですから白筋の多い動物は持久力がないということになります。
 白身の魚はあっさりした、淡白な味、赤身の魚は(マグロのような)しつこい?味になるのは、その筋の性質とも一致していておもしろいことです。ヒトでは、スプリンターはあっさりした性格になり、マラソンランサーは粘り強い性格になっているのでしょうか?だとすればマラソンランナーの方がうつ病になりやすいかもしれません。

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2007年12月 3日 (月)

音叉セラピーのセミナーに参加しました

昨日は、音叉を使って経絡を調整するキネシオロジーの流れを汲む治療法を勉強してきました。音で心身を調整するというなんとも不思議な調整法ですが、劇的な効果をえられる時も確実にあります。なんなんでしょう?現代医学の視点からは絶対に理解できない現象です。前回にも書きましたが、疑問はふえるばかりです。患者さんにとっては、効果があれば、その機序はどうでもいいでしょうけど、自称在野の研究者としては、すっきりしません。心身の連続性が改善しているのはわかるのですが、まだまだ心身には未知の情報伝達路が存在しているようです。
 ちなみに、昨日の、セミナー会場は、私と友人が共同経営している神田西口整骨院だったのですが、ビルの入り口のシャッターの鍵を持っていないことに、当日の朝、気がつきまして、事前の準備の甘さを悔いるとともに、参加者に迷惑をかけて、朝から血圧を上げるはめになりました。そのためか、セミナー受講中から、胃腸が重苦しく、熱も出て、身体的にはつらい一日となりました。こういう時は、熱い風呂に入って体温を上昇させ、免疫を一気に活発化させるのが一番なので、昨夜は熱〜い風呂に入ってすぐに寝ました。それが功を奏したのか、今日はなにごともなく仕事に励めそうです。

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2007年11月30日 (金)

真実はシンプルなのに情報はどんどん増え続けます

今年は、ひとの話を聞き、情報を収集する年にしたので、さまざまな知識を習得しました。それはそれで、楽しいことだったのですが、今までより、真実に近づいたか?腑に落ちる理解を得たか?と自問すると、残念ながらそうでもありません。情報が増えた分だけ、わからないことも増えたというのが実感です。これは、どの分野の方でも感じることでしょうが、知識がふえることと、真実をつかむこととは違うということを改めて思い知った一年でもありました。これからその知識をからだで消化し、その意味を感じ、不要なものを捨て去る作業をしていかなくてはならないようです。これがまた、知識を得ることの何倍も大変な作業になるんですから、知識なんていらないとつい思いたくなってしまうようでは、子供に対して「勉強は大切ですよ」という資格はありませんね。来年も引き続き、情報収集と消化、思索の作業をし続けようと思います。 
  病気の治療法、健康法、スポーツやダンスなどの身体文化に対する上達論などの情報は、かぎりなく増え続けています。私のようなプロでもその真偽を判断するのが難しい世の中になってきていますので、一般の方は、どうしても権威あるいは流行におどらされやすくなると思います。権威や流行に間違いが生じることが多々あることは、歴史が証明しています。縁あるものが真実であることを運がいいというのかもしれません。みなさまに幸運が届きますように!

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2007年11月27日 (火)

今日は犬の治療をしました

今日は、横浜市港北区にあるドッグスクールにいって、2頭の犬の治療をしました。一頭は、左肩関節の亜脱臼で、動かすと関節面がじょりじょり異音を発して、足を地面に着くことができない状態、もう一頭は、仙腸関節と股関節の障害で、よたよたとしか歩けない状態でしたが、2頭とも治療直後の状態に改善がみられたので、今週末に状況を報告してもらう予定ですが、今後の改善に期待がもてます。

 2頭とも、さすがにプロが訓練している犬だけあって、訓練士(正式名称を知りません)の命令によく従うので、小さな子供を診るよりずっと楽なことに妙に感心させられました。

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2007年11月26日 (月)

タッチフォーヘルスのセミナー後に一杯やりました

今日は、ただのおしゃべりです。昨日、タッチフォーヘルスというキネシオロジー(運動機能学と訳されているようです)のレベル4が終了しまして、その後の焼き肉店での打ち上げ様子です。今回でタッチフォーヘルスのすべてのプログラム(まだ、インストラクターコースとかはありますが)が終了しましたので、私は、タッチフォーヘルスプラクティッショナーと名乗っていいのかもしれません(あるいは検定試験に合格しなくてはいけないのかもしれませんが)。いずれにしても、約1年の勉強会を終えてほっとしています。勉強の成果は、臨床場で、役立てていこうと思っています。
 上の写真の向かって左側の好青年は、港カイロプラクティックの院長です、田町近隣の方はお勧めします。向かって右側の好中年は、今回講師をして頂いた小堀先生です、柏でキネシオロジースタイル代表として活躍しています。下の写真のひげおやじは、母校の日本カイロプラクティックカレッジの同級生で盟友でもあります、今回のセミナーのプロデューサでもあり、静岡市と東京白金で活躍しています。Photo_3

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2007年11月19日 (月)

不思議な話

昨日来院された患者さんから聞いた不思議な話です。その方の息子さんが、子供の頃(現在は30代です)、首の痛みに悩まされ、あちこちの病院で検査しても異常なしとの診断で苦労していたそうです。そうこうしているうちに、御実家のお墓にあるお地蔵さん(正確には、分かりませんが、幼くして亡くなられたご先祖様の墓石のようです、昔は幼くして亡くなられる方は少なくありませんから、そのようなお地蔵さんが複数あるようです)の首がすべて取れてしまっているとの知らせを受け、お地蔵さんの改修とお坊さんによる供養を執り行ったところ、首の痛みが減ったそうです。その患者さんも、不思議なこととおっしゃってました。こういう事をどう理解したらいいのでしょう?私としては、ただの偶然と片付けるのも、ご先祖さまを粗末にしたためのばちとするのも、納得がいきません。どんなことでも、特に不思議なことほど、その発生のメカニズムを知りたいと思ってしまいます。偶然であろうと、霊であろうと、祟りであろうと、その本態を知りたい、不思議なもの、不思議なことをすべて、当たり前のことにしたいという妄想に、かられてしまうのが、不思議なことと遭遇した時の変わらぬ気持ちです。
 ちなみに、その方の息子さんの首は、今も時に痛みが出現するので、私が治療して、コントロールしています。だからといって、子供の時のことは偶然、思い込みと片付ける気はありません。可能なことならば息子さんの子供の時にタイムスリップして、診察してみれば、なにが起きていたのか分かるかもしれないのですが。今度、退行催眠もどきで観察してみようかとも思いますが、すこし怯えています。知りたいけど恐い。どうする何故だ郎(ブログのペンネームです、正体明かしているので意味ありませんが)と自問しています。

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2007年10月23日 (火)

ブログの書き方

今日はブログの書き方、管理の仕方を勉強して疲れ果てました。意味のある発信は明日以降にします。

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