ここ数年、ナンバ歩きやその発展形?である常足歩行という言葉を聞くことが多いいのですが、朝日新聞(2007年8月5日:心体観測 武術の目⑥ 多田 容子 記述)の切り抜きを、つい最近、友人から見せてもらって ナンバ歩きの理解に釈然としないことがあったので、そのことに触れてみます。それは、「江戸時代以前の日本人は手を振らない歩きをしていた」というようなこと、この記事では間接的にしか書かれていませんが、「右足前のときは右手も前に出して歩く」などの解釈、ナンバ歩きは合理的な歩き(省エネ歩行)であるというような論旨です。このような論調の記載は、他でも目にすることがあるのですが、まずは、ナンバ歩き(上半身をねじらない、手をあまり振らない、同側の手足を前に出すなどの特徴を有する歩行)をよく考えてみることからその真実が見えてくるだろうと思っています。
私は、江戸時代以前の日本人がみなナンバ歩きしていたとは思いませんし、それが人間としての自然な歩きだとも思いません。求められる生活様式、作法によって必然的に生じた身体操作だと思っています。たとえば
1.袴をはいて歩く場合、足幅(進行方向に垂直な方向の幅)を広くしないと、すそ?がこすれあうし、時に踏みつけることになりかねない。このように足幅をひろくした場合は、上半身のねじれは少なくなるので、ナンバ歩きになる。
2.武士のマナーとして、足音や衣のこすれあう音を嫌ったと思われるので、すり足で移動する。この場合手足を大きく振らないことが体のねじれを減らすのでナンバ歩きになる。
3.刀をさして歩く場合、腰の水平回旋が大きいと、刀が揺れていざというときに刀をすばやく抜けないし、着物が乱れる。これも体をねじらない手足をあまり振らないナンバ歩きになる。
4.飛脚は、肩に郵便物をいれた篭(取っ手付の箱)を担ぐので、上半身が左右に回旋すると走りにくいので、できるだけ上半身が揺れないように走った。当然手は篭を持つので振らない。結果としてナンバ走りになります。(ある雑誌では右手で担いでいる飛脚が、右足を前に出している瞬間の写真を載せて、同側の手足が前に出ている例として紹介されていた、これなどはちょっと詐欺的です。では、左足を前に出す時は、篭を逆側に持ち替えるとでもいうのでしょうか?)
などです。求められる要求によって生じた歩行方法がナンバ歩きであるということです。日本人でも、そういう要求がなされていない人であれば、他の国の人たちと特別違う歩きをすると考えるのは無理があります。
ですから、洋服、靴、求められる作法が異なる現代人が、歩く時に、ナンバ歩きをする必要はありません。体をねじる動きは、身体運動として重要な動きですから、ウォーキングをナンバ歩きにすることは賛成できません。
では、スポーツへの応用としてはどうでしょうか(武術や日本舞踊などの身体芸術では、ナンバ歩きが普通に使用されますが、求められる動きからの必然です)?これは身体操作に要求されることがなにかということで決まることです。
1.陸上の短距離走、長距離走など、速く走ることを目的にした場合、ナンバ走りがいいのかどうか、今の私には答えるだけのものがありませんが、上半身を使い切っているとは言えない走法がベストではないような気はしますが。不要なゆれやねじれがないのは当然ですが、必要なねじれまで抑えてしまってはいけないような気がします。躍動性を失わせる走りになるのならベストではないでしょう、きっと。
2.バスケットボールでのドリブルは当然、飛脚と同じようなことが求められますから、走る時にむやみに上半身がねじれる使い方をすることはありえませんので、当然ナンバ的走法が必要です。
3.サッカーでの走りでは、方向転換が頻繁に求められるので、その時々によって使い分けが必要でしょう。クルッと体を回旋させるときは体にねじれが必要ですから。
ということで、求めるものに応じて、場合によっては使えるひとつの歩法、走法であるという当たり前の認識が必要であろうと思うわけです。
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